最近、車を運転していると、高齢者の方が道端で立ち話をしている姿をよく見かけます。
何の話をしているかはわかりません。
今日の天気のことかもしれない。
体調のことかもしれない。
近所の出来事かもしれない。
でも、なぜかその光景を見るたびに考えることがあります。
それは、
「人は最後に何を求めるのだろう」
ということです。
若い頃は、もっと大きなものを求めていた気がします。
成功。
お金。
評価。
承認。
もちろんそれらも大切です。
僕自身もずっと目標を追いかけて生きてきました。
でも年齢を重ねるにつれて、それだけでは説明できないものが見えてくるようになりました。
道端で話している高齢者の方々を見ていると、そこには男だからとか女だからとか、そういうものを超えた人としてのつながりを感じることがあります。
ただ相手の存在を確認する。
ただ今日も会えたことを喜ぶ。
そんな時間の価値を大切にしているように見えるのです。
そして、それは僕自身の経験とも重なります。
父が亡くなったとき、僕を支えてくれたもの
僕は32歳の時に父を亡くしました。
父とは16年間一緒に仕事をしていました。
正直に言うと、理不尽なこともたくさんありました。
嫌な思いもしました。
何度もぶつかりました。
だから父との思い出を美談だけで語ることはできません。
でも、父が亡くなった後に感じたことがあります。
それは、
「やっていて良かった」
ということでした。
父は最後に僕にありがとうと言ってくれました。
その言葉ももちろん嬉しかったです。
でも本当に僕を支えてくれたのは、その言葉ではありませんでした。
16年間向き合ってきた時間そのものだったんです。
嫌だったことも含めて、一緒に過ごした時間。
一緒に働いた時間。
ぶつかった時間。
積み重ねた時間。
それがあったからこそ、父が亡くなった後も自分の中で受け止めることができたのだと思います。
人は何をしても後悔する
母は今でも言います。
「人は何をしても後悔する」
本当にその通りだと思います。
僕にも後悔はあります。
ゼロではありません。
でも、その後悔は当時の自分がサボったから生まれたものではありません。
今の自分だから見える後悔です。
もっとこうできたかもしれない。
もっとこういう言葉をかけられたかもしれない。
そんなことは今でも思います。
でもそれは、自分が成長したから見える景色でもあります。
何もしなかった後悔とは少し違います。
向き合った上で生まれる後悔です。
だからこそ、僕は後悔がない人生を目指すのではなく、
納得できる時間を積み重ねることの方が大切だと思っています。
年に1回でもいい
僕は親孝行を大切にしたいと思っています。
だからといって、僕と同じようにする必要はありません。
僕は独身です。
家庭を持っている方とは状況も違います。
でも、それでも思うことがあります。
年に1回でもいい。
親のために時間を使う日があってもいいんじゃないか。
年に1回。
たったそれだけです。
でも10年で考えたら10回しかありません。
20年でも20回です。
そう考えると、決して多い回数ではないと思うんです。
僕たちはつい、
また今度でいい。
落ち着いたら行こう。
時間ができたら会おう。
そう考えてしまいます。
でも時間は思っているより少ない。
それを僕は父との別れから学びました。
なぜ僕は浮気や不倫に違和感を感じるのか
僕は昔から、浮気や不倫に強い違和感があります。
もちろん人には事情があります。
白か黒かで語れるものでもありません。
でも僕にはどうしても、人の人生や時間を軽く扱っているように見えてしまうんです。
結婚も恋愛も、
結局は限られた人生の時間を誰と共有するかという話だと思っています。
だからこそ、その時間を雑に扱うことに違和感を感じるのかもしれません。
これは正しいとか間違っているとかではなく、僕自身の価値観です。
そしてその価値観の根っこには、
父との時間や家族との時間の重みがあるのだと思います。
人は最後に何を求めるのか
最近、高齢者の方々の会話を見ながら思うことがあります。
人は最後に何を求めるのだろう。
もちろん人それぞれです。
でも僕は、
誰とどんな時間を過ごしたか
なのではないかと思っています。
成功したか。
お金を稼いだか。
評価されたか。
それも大切です。
でも最後に残るのは、
一緒に笑った時間。
一緒に悩んだ時間。
一緒に過ごした時間。
そんな気がしています。
だから僕は時間を大切にしたい。
人生は思っているより重い。
生きている時間は思っているより貴重です。
だからこそ、
今ある時間を大切にしたいと思っています。


コメント