「なぜ、あなたはクワイエットラグジュアリーが好きなのですか?」
そう聞かれたら、僕はこう答えます。
それは、高級ブランドが好きだからではありません。
「本当に力のある人は、必要以上に自分を大きく見せる必要がない。」
僕は、この考え方に心地よさを感じています。
もちろん、ロゴが大きく入ったブランドや、華やかなファッションを否定したいわけではありません。
それを好きな人もいますし、実際に努力して手に入れたものを楽しむことは素晴らしいことです。
ただ、僕自身は、人に見せるためではなく、自分が納得するための選択に価値を感じます。
僕は「市場価値」より「納得感」にお金を払いたい
例えば、僕はMINI R56が好きです。
市場では決して高値で取引される車ではありません。
維持費もかかります。
それでも、あのデザインやサイズ感、運転している時間そのものに魅力を感じています。
バッグも同じです。
僕はCisei 941を愛用しています。
決して目立つバッグではありません。
けれど、素材、縫製、職人の技術、長く使うことを前提にした設計には、お金以上の価値を感じます。
服もTEATORAを選んでいます。
機能性だけでもなく、デザインだけでもない。
その絶妙なバランスに惹かれています。
僕がお金を払っているのは、ブランド名ではありません。
その背景にある思想や職人の仕事です。
「静かな贅沢」という選択
近年、高級車や高級時計を狙った窃盗事件が報じられることも増えました。
社会が変化する中で、目立つことのリスクを考える場面もあります。
だからといって、努力して手に入れたものを諦める必要はありません。
僕は、誇示するためではなく、自分自身が満足するために静かに楽しむという選択に魅力を感じています。
それが、僕にとってのクワイエットラグジュアリーです。
本当の自分磨きは、見えないところにある
最近、「自分磨き」と聞くと、見た目を磨くことを思い浮かべる人が多いかもしれません。
整形、ボディメイク、脱毛、ファッション。
どれも素晴らしいことです。
僕自身も、美しい服や時計、車は好きです。
でも、それと同じくらい、あるいはそれ以上に価値を感じているものがあります。
それは、見えない部分を磨くことです。
教養。
判断力。
美意識。
感性。
人との接し方。
心の余裕。
こうしたものは、人から見えにくいかもしれません。
だからこそ、自分自身が納得するためだけに積み重ねる贅沢でもあります。
盗まれない贅沢
高級時計は盗まれるかもしれません。
高級車も盗まれるかもしれません。
家や資産でさえ、失う可能性があります。
しかし、自分の中に積み重ねた教養や判断力、美意識、経験は、誰にも盗むことはできません。
見よう見まねで学ぶことはできても、その人が積み重ねてきた時間や経験そのものを奪うことはできません。
僕は、この「人から盗まれないもの」に時間とお金を使うことこそ、本当の贅沢ではないかと思っています。
おわりに
僕は、高級品を否定したいわけではありません。
美しいものは好きです。
良い時計も、良い車も、良い服も好きです。
ただ、それ以上に価値があると思っているものがあります。
それは、人から奪われないものです。
教養。
美意識。
判断力。
感性。
そして、自分らしい価値観。
僕は、それらを育て続けることこそ、**「静かな贅沢」であり、「盗まれない贅沢」**なのだと思っています。
