昔の僕は、完全に“仕事に縛られている側”でした。
決められた時間に行って、決められたことをやって、終わったら帰る。その繰り返し。それが当たり前だと思っていましたし、疑問を持つこともありませんでした。
■仕事が生活のすべてだった 気づけば、仕事がすべての基準になっていました。予定も、時間も、考え方も、仕事に合わせて決まる。それ以外は、その隙間に入るもの。そんな感覚でした。
■転機:父から3代目を引き継ぎ、走り出してから そんな僕に大きな転機が訪れたのは、父が亡くなったことでした。家業を継ぎ、「3代目」として看板を背負って走り出してからしばらく経った頃、ふと足元を見つめ直す瞬間がありました。
代々続くものを守らなければならないという重圧。その中で必死に動いてはいるけれど、「これ、本当に自分の意志で選んでいるのか?」という強烈な違和感が拭えなかったのです。
■40歳を過ぎて、ようやく辿り着いた答え その違和感と向き合い続け、40歳を過ぎてようやく、一つの答えが見えてきました。それは、仕事として大きく捉えるのではなく、「自分が今、何をしているのか」を分解して見るということでした。
- 自分は何を作っているのか
- 何に価値を出しているのか
- どういう状態でそれをやっているのか
そうやって自分の行動を一つひとつ見つめ直すと、少しずつ、でも確実に感覚が変わっていきました。
■同じことでも、意味が変わる やっている業務自体は、大きく変わっていません。でも、「3代目だからやらされている」のか、「自分の意志でこの価値を届けている」のか。この違いだけで、感じ方は180度変わりました。
■縛られていたのは、環境ではなく“捉え方”だった 今振り返ると、僕を縛っていたのは環境だけではなく、自分自身の「捉え方」だったのだとはっきり分かります。「仕事だから仕方ない」「継いだ以上、やらないといけない」。そう思っている限り、どんな立場になっても自由にはなれなかったはずです。
■最後に 40代になり、ようやく「仕事に使われている」という感覚から抜け出すことができました。 同じことをしていても、どう捉えるかでここまで人生の温度は変わる。だから今の僕は、何をやるかよりも、「どういう感覚でその瞬間に向き合うか」を何よりも大切にしています。
