数字に刻まれた、抗えない別れ
17歳、26歳、32歳。
この数字は、僕が大切な友人、後輩、そして父を失った年齢です。
これらの経験は、僕に一つの冷徹な真理を突きつけました。
「人の時間は確実に有限であり、人と人が重なり合う時間は、もっと有限である」ということ。
そして、その幕引きのタイミングすら、僕たちは選ぶことができないということです。
なぜ、自分から離れた縁にさえ切なさが宿るのか
僕は、自分から距離を置いた相手や、疎遠になった知人に対しても、不思議なほどの切なさを感じることがあります。
それは、どんなに些細な出会いであっても、それが「もう二度と交わらない命の時間」の断片であることを、本能的に理解してしまっているからかもしれません。
「また今度」が永遠に来ないことを知っているからこそ、一つの縁が閉じることに、祈りのような痛みが伴うのです。
スキルよりも先に、譲れない「覚悟」がある
正直に言います。
僕は今、コーチとしてはまだスタートラインに立ったばかりです。
熟練のコーチのような、魔法のようなテクニックを今すぐ提供できるわけではありません。
だからこそ、今の自分にできることと、できないことを誤魔化したくないと思っています。
しかし、僕は「命の時間の重み」を、誰よりも切実に知っています。
誰かの貴重な時間を預かることの恐ろしさと、尊さを知っています。
だから僕は、「数」を追うことをやめました。
誰にでも効くような安価な言葉を大量に届けるよりも、限られた人と、人生の深い部分に触れるような対話がしたい。
お互いの人生に責任を持つような、純度の高い時間を共有したいと思っています。
未完成の僕と、人生を雑に扱いたくないあなたへ
僕がこれからやりたいのは、完成された答えを与えることではありません。
「自分の人生を、どう使い切るか」
その問いに対して、一分の妥協もなく、一緒に向き合っていくことです。
「いつか」は保証されていない。
だからこそ、今。
限られた人生という資源を、どこに投下するのか。
何に時間を使い、誰と生きるのか。
その答えを、真っ当な論理と、痛みを伴うほどの誠実さを持って、これから探していきたいと思っています。
だから僕は、人生を変えたい人ではなく、人生を雑に扱いたくない人と向き合いたいのです。


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