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どこへ行っても、自分だけはいつもそこにいる

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「いい車」より「いい運転」ができるか

「いい車に乗っているか」より「いい運転ができるか」にこだわりたい。
「いい身なりで着飾るか」より「いい振る舞いができるか」にこだわりたい。

最近、自分の中でこの感覚がより一層、強固なものになってきた。

かつては、何らかの「記号」を身に纏うことで自分を補強しようとした時期もあったかもしれない。だが今、僕の周りからそうした記号のノイズが消えつつある。ブランドロゴで自分を誇示する必要も、誰かに「すごい」と思わせるための武装も、今の僕には必要ない。

なぜなら、環境が変われば付き合う人も変わるが、どこへ行っても「自分だけ」はいつもそこにいるからだ。


「所有」ではなく「所作」に宿る品格

もちろん、僕は車が好きだし、服も好きだ。
今もCiseiの941を愛用しているし、Valextraの財布を手に取る。だが、それらを「持っている」と誇示したいわけではない。むしろ、「いいものを持っている」という記号的な視線は、僕には不要だ。

僕が求めているのは、その道具を使いこなす「自分自身の質」だ。

車であれば、同乗者が心地よさに身を委ね、いつの間にか眠ってしまうほどの滑らかなブレーキングやアクセルワーク。
服装やアクセサリーであれば、ブランド名が先行するのではなく、「その組み合わせ、センスがいいですね」と、僕自身の審美眼そのものを肯定されること。

モノは手に入れれば誰でも所有できる。しかし、洗練された「運転」や「振る舞い」といったソフト面は、一朝一夕では身につかない。日々の意識の積み重ねが滲み出る部分にこそ、その人の本当の余裕が宿るのだと思う。


孤独をデフォルトとして生きる

こうした美学を支えているのは、今、ビジネスに心血を注いでいるという事実も大きいだろう。

自ら事業を動かし、責任を引き受ける日々の中で痛感するのは、「人は孤独がデフォルトである」という極めてシンプルな真理だ。

どれほど周囲に人がいても、最後は自分一人で決断し、自分一人でその結果と向き合う。

この「孤独」を潔く受け入れたとき、他人の評価という不安定な「記号」はどうでもよくなった。

他人の目にどう映るかではなく、自分という唯一の観客に対して、どれだけ誠実でいられるか。
誰も見ていない場所で、どれだけ自分を律し、技術を磨けるか。


自分という最大の資本を磨く

家や車は持ち運べないが、自分の中に築き上げた「振る舞い」や「センス」、そして「技術」は、世界のどこへ行っても自分から離れることはない。

一生付き合い続けるパートナーである「自分」という存在を、最高に信頼できる状態にしておくこと。

それこそが、僕にとっての究極の贅沢であり、ビジネスにおいても人生においても、最大の資本になる。

記号を脱ぎ捨て、本質を磨く。

その静かな研鑽の中にこそ、本当の自由があるのだと信じている。

サクガワトシタカ
AURA DESIGN代表
気づけば、人生の半分以上を同じ場所で過ごしていました。

そこしかないと思っていたからです。
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