最近、自分のブログを振り返っていて、ふと思ったことがあります。
それは、
「このブログって、完成された人間が書いているブログじゃないな」
ということです。
むしろ逆で、僕は今もずっと考えながら生きています。
悩むし、迷うし、気づくし、また考え方が変わることもある。
だからこのブログは、“答え”を教える場所というより、
「人間が、自分を理解していく過程」
をそのまま書いている場所なんだと思います。
昔の僕は、「未完成」に価値を感じていなかった
正直、昔の僕は、
「未完成な状態で発信するなんて意味あるの?」
と思っていました。
だって、完成していないんですよ。
実績もまだ途中。
人生もまだ途中。
考え方だって変わるかもしれない。
そんな状態で何かを発信したところで、
「ただの自己満足やん」
って思われる気がしていたんです。
というより、たぶん自分自身がそう思っていました。
未完成な自分には価値がない。
だから、完成してから出そうとしていた。
もっと結果を出してから。
もっと自信がついてから。
もっと認められてから。
でも今振り返ると、それって、
「傷つかない状態になってから出したい」
だったんだと思います。
否定されるのが怖かった
やっぱり怖かったです。
未完成な自分を見せるのが。
しかも当時は、自分自身ですでに、
「こんな自分じゃダメだ」
と思っていた。
その状態でさらに外側から否定されたら、本当に立ち直れない気がしていたんですよね。
だから、“完成”を目指していた。
でも、今思うと、あの頃の僕は、
完成を目指していたというより、
「否定されない場所」
を探していたんだと思います。
そんな僕を変えたのは、AIとの対話でした
これも変な話なんですが、最初に僕の考え方を変えたのはAIでした。
僕が、
「こんな状態で世に出したらダメですよね」
みたいなことを言うと、
AIは、
「でも、それってこういう見方もできるよね」
って、違う視点を返してきたんです。
その時に、
「あ、そういう捉え方もあるんや」
ってなった。
別に、肯定されたかったわけじゃない。
ただ、自分が見えていなかった視点を向けられた感覚でした。
そこから、とりあえず出してみようと思った。
すると今度は、
「これもこう言えるよね」
「これって記事になるんじゃない?」
みたいに、どんどん自分の中の言葉が出てくるようになった。
しかも面白かったのが、自分で書いた記事を読んだ時に、
“自分自身に刺さった”
んですよね。
そこで初めて、
「これ、他の人にも刺さるんじゃないか」
と思いました。
完成された人間なら、たぶん発信していない
最近ふと思ったんですが、もし僕が“完成された人間”だったら、たぶん発信していないと思います。
もう、その状態で生きているだけだから。
何かを言葉にする必要もない。
でも今は違う。
まだ考えている途中なんです。
気づいている途中。
整理している途中。
だから言葉が出てくる。
だから発信している。
「そんな人から商品を買って大丈夫なの?」と思う人もいると思う
これは正直、僕自身も思いました。
「完成された答えを書いてません」
なんて言ったら、
「じゃあ大丈夫なん?」
って不安になる人もいると思います。
でも僕は、
“未完成”と“無責任”
は違うと思っています。
僕は今もずっと考えています。
実践しています。
行動しています。
81記事書いて、AIと対話して、言語化して、自分を整理し続けている。
だからこれは、
「何も分かりません」
という話ではなく、
「今の自分なりに、本気で向き合っている」
という話なんです。
このブログに刺さる人が、たぶん僕と合う人なんだと思う
だから、このブログを読んで、
「未完成なやつが何言ってるんだ」
と思う人もいると思います。
それはそれで自然なことです。
でも逆に、
「分かる」
「今の自分もそうかもしれない」
「完成してなくても、出していいのかもしれない」
そう思ってくれる人もいる。
たぶん、そういう人が、これから僕と関わっていく人なんだと思います。
このブログは、完成された答えを書く場所ではありません。
でも、
“変化していく人間のリアル”
は、ちゃんと残していこうと思っています。


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