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納得できる疲労は、自分の方向性を教えてくれる

最近、久しぶりに右目が真っ赤に充血した。

昔から、限界まで無理をするとたまになる。今回も、ブログを書き続けていたことによる過労だった。実際、過去に何度も眼科へ行っているが、「眼圧異常」「過労」と言われてきた。

普通なら、「しんどい」「やりすぎた」と後悔する場面なのかもしれない。

でも、今回は少し違った。

確かに疲れている。身体は悲鳴を上げている。でも、不思議と嫌な感覚ではなかった。

むしろ、どこか高揚感すらあった。

「疲れているのに、満たされている」

そんな感覚だった。

目次

同じ疲労でも、“質”が違う

僕は今まで、「なんでこんなに働かなければいけないんだ」と感じながら疲弊していた時期がある。

やらなければいけないからやる。
生活のためにやる。
役割だからやる。

もちろん、それも人生には必要な時間だと思う。

でも、その時の疲労というのは、どこか“削られていく疲労”だった。

一方、今感じている疲労は少し違う。

今の僕は、自分の中に長年溜まっていたものを、言葉として外へ出している感覚がある。

25年積み重ねてきた現場感覚。
父を亡くした経験。
組織の板挟み。
自己啓発にのめり込んで失敗したこと。
感性と現実の間で揺れ続けた時間。

それらが、ようやく一本の線として繋がり始めている。

だから疲れていても、「納得感」がある。

人間には“キャパ”がある

人間である以上、何事にも限界はある。

どれだけ優秀な人でも、無限に動けるわけではない。

だから本来大切なのは、「疲れない生き方」を探すことではなく、

“どんな疲れなら、自分は納得できるのか”

を知ることなのかもしれない。

もちろん、無理をしすぎるのは危険だ。身体を壊してしまえば意味がない。

でも、人は「納得できる方向」に向かっている時、不思議と同じ疲労でも意味合いが変わる。

これは精神論ではなく、感覚として確かに存在するものだと思う。

方向性は、“疲れ方”に出る

ただ、多くの人は「向いていること」を探そうとする時、特別な才能や、劇的な転職を想像してしまう。

でも実際は、もっと小さな場所にヒントがある気がしている。

例えば、

・休日に何を調べてしまうのか
・どんな店に入るとワクワクするのか
・何に自然とお金を使っているのか
・どんな疲れなら納得できるのか

そこには、その人の“エネルギーが自然に向かう方向”が出ている。

そして面白いのは、趣味の向こうには、必ず“提供者”がいるということだ。

コーヒーが好きなら、そこには焙煎する人がいる。
服が好きなら、デザインする人がいる。
ゲームが好きなら、設計している人がいる。

つまり、自分が夢中になっているものの裏側には、「仕事」が存在している。

一度、“作る側”に回ってみる

だから、いきなり人生を大きく変えなくてもいい。

まずは、小さく試作してみればいい。

ブログを書いてみる。
動画を撮ってみる。
作品を作ってみる。
小さく販売してみる。

すると、

「これは時間を忘れる」
「疲れるけど嫌じゃない」
「もっと改善したくなる」

そんな感覚が見えてくる。

逆に、

「見るのは好きだけど、作るのは違った」

ということも分かる。

頭で考えているだけでは、本当の適性は見えない。

実際に“作る側”に立って初めて、自分のエネルギーがどこで循環するのかが見えてくる。

納得できる疲労の先にあるもの

僕は今、間違いなく疲れている。

でも、それ以上に、「ようやく自分の人生が繋がり始めている」という感覚がある。

もちろん、まだ何者でもない。

これから先、うまくいく保証なんてどこにもない。

それでも、

“この疲労なら、納得できる”

そう思える方向に進めていること自体が、今の僕にとっては大きな意味を持っている。

もし今、「なんだか毎日しんどいな」と感じている人がいるなら、一度、自分の“疲れ方”を観察してみてほしい。

その疲労は、あなたを削っているのか。

それとも、あなたの向かう方向を教えてくれているのか。

その違いの中に、自分らしい人生のヒントが隠れているのかもしれない。

サクガワトシタカ
AURA DESIGN代表
気づけば、人生の半分以上を同じ場所で過ごしていました。

そこしかないと思っていたからです。
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