昔は本当に音楽が好きでした。
10代、20代の頃はカラオケにも行っていましたし、音楽活動もしていました。
音楽活動を辞めてからも、家でギターを弾いたり、歌ったりはしていたんです。
でも最近は、全くやる気が起きません。
「感性が死んだのかな」と思った時期もありました。
でも今になって気づいたんです。
僕は、音楽を辞めたわけじゃなかったのかもしれないって。
MPCでビートを作っていた頃の感覚
昔、僕はMPCというサンプラーでビートを作っていました。
いろんな曲をサンプリングして、
- 切って
- 並べ替えて
- 組み合わせて
- 空気感を作って
一つのビートとして完成させる。
あの作業が、本当に好きでした。
ゼロから完全オリジナルを生み出すというより、
「すでにあるものを、自分の感覚で再編集する」
そんな感覚です。
今のブログ執筆が、あの頃とすごく似ている
最近、ブログを書き続ける中で、ふと気づいたんです。
「あれ…この感覚、昔MPCでビート作ってた時と似てるな」って。
例えば今の僕は、
- 過去の経験
- ネガティブだった出来事
- 人との会話
- AIとの対話
- 日常の違和感
- 学んできたこと
そういうバラバラだったものを、一回分解して、
そこからまた、
- 捉え方を変えたり
- 点と点を繋げたり
- 意味を再編集したり
して、一つの記事として公開しています。
これって、かなりサンプリングに近い感覚なんですよね。
ネガティブな経験を、そのまま終わらせない
普通なら、
「嫌だった」
「つらかった」
で終わる出来事も、
時間が経ってから見返すと、
- あの経験があったから今がある
- あれは環境とのズレだった
- 無理して優しくしすぎていた
- 自分の輪郭を見失っていた
みたいに、意味が変わってくることがあります。
僕は今、それをブログでやっている感覚があります。
昔、音をサンプリングしていたように。
今は、人生をサンプリングしている。
そんな感覚です。
ブログが、一つの“完成したビート”になる感覚
記事を書いていると、
最初はバラバラだった感覚や経験が、最後に急にハマる瞬間があります。
「あ、これや」
っていう感覚。
それが来た時、記事が完成するんです。
しかも完成した記事って、音楽みたいに読み返したくなるんですよね。
昔、自分で作ったビートを何回も聴き返していたみたいに。
たぶん僕にとってブログは、ただの情報発信ではないんだと思います。
感情や経験を、自分の感覚で再編集していく創作なんですよね。
人は、本質的な創作性を形を変えながら生きているのかもしれない
昔好きだったことをやらなくなると、
「もう情熱がなくなったのかな」
と思うことがあります。
でも実際は、消えたんじゃなくて、
“向かう先が変わっただけ”
なのかもしれません。
僕は今、音楽をやっていません。
ギターもほとんど触っていません。
でも、創作を辞めた感覚はないんです。
昔は音でやっていたことを、今は言葉でやっている。
ただそれだけなのかもしれません。


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