「自分には何もないんです」
そう言う人って、結構いると思います。
でも、自分は最近、それって本当に“ない”んじゃなくて、
「認識できていないだけ」
なんじゃないかと思うんですよね。
眼鏡を頭に乗せたまま探している感覚
ふと思ったんです。
「自分には何もない」って言っている人って、
眼鏡をデコに乗せたまま、
“眼鏡どこや?”
って探している状態に近いんじゃないかって。
本当は、もう持っている。
でも、近すぎて見えていない。
当たり前すぎて、価値として認識できていない。
そんな感覚です。
人は、“自然にできること”ほど気づけない
例えば、
- 人の感情に敏感
- 空気を読みすぎる
- 一人反省会をずっとしてしまう
- 言葉に違和感を感じやすい
- 相手の変化にすぐ気づく
こういうものって、本人からすると“欠点”だったりするんですよね。
でも見方を変えると、
- 観察力
- 共感力
- 内省力
- 違和感感知能力
- 人間理解への感度
でもある。
ただ、本人はそれを“普通”として使っているから、自覚できない。
だから、
「自分には何もない」
ではなく、
「自分が持っているものを、まだ認識できていない」
だけなのかもしれません。
“ない”のではなく、“言語化できていない”
自分はここ、かなり大きいと思っています。
人って、言葉にできないものを認識しにくいんですよね。
だから、
- なぜ疲れるのか
- なぜ苦しいのか
- なぜ違和感があるのか
- なぜその環境で消耗するのか
これを言語化できていないと、
全部まとめて、
「自分がダメなんだ」
になってしまう。
でも実際は、
ちゃんと理由があることが多い。
だから大事なのって、
「自分を変える」
より先に、
「自分を認識する」
ことなんじゃないかと思っています。
可視化されると、人は少し安心する
不思議なんですけど、人って、
「自分はこういう特性があるのか」
って整理されるだけで、少し心が軽くなったりするんですよね。
なぜなら、
「意味不明だった苦しさ」
に、構造が見えるから。
- だから無理していたのか
- だから疲れていたのか
- だから合わせすぎていたのか
そういうものが繋がり始める。
すると、“欠点”だと思っていたものが、
「特性」
として見え始めたりするんですよね。
最後に
人は、“持っていない”ことより、
“自分が持っているものを認識できていない”
ことで苦しくなっていることがある。
だから、いきなり変わろうとしなくてもいい。
まずは、
「自分は何を持っている人間なのか」
を、少しずつ言葉にしていくこと。
もしかしたらそれだけで、
ずっと探していた“答え”が、すでに自分の中にあったことに気づくかもしれません。


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