「今の自分には、これしかない」
そう思い込んで生きていた時期が、僕には長くありました。
仕事も、人間関係も、住む場所も、生き方も。
どこかでずっと、「この世界の中で生きていくしかない」と感じていたのです。
でも今振り返ると、それは“現実”というより、「その角度から見えていた景色」に過ぎなかったのかもしれません。
人は“事実”ではなく、“角度”を見ている
僕は普段、誰かから悩み相談を受けた時によくする例え話があります。
「目の前に“円”があるとします。あなたはそれを見て、何だと思いますか?」
多くの人は、「円です」と答えます。
もちろん、それは間違いではありません。
でも、その“円”を少し斜めから見たらどうでしょうか。
実はそれは、筒かもしれない。
もっと横から見たら、牛乳瓶かもしれない。
あるいは、いびつな形をした立体物の一部かもしれません。
つまり、人は“物事そのもの”を見ているようで、実際には「自分の立っている位置から見えた形」を認識しているだけなのです。
苦しさは「視界が固定される」と強くなる
人が苦しくなる時というのは、多くの場合、
「今見えている景色しか存在しない」
と思い込んでいる時だと感じます。
例えば、
- 「この仕事しかない」
- 「この環境で生きるしかない」
- 「こうならなければ幸せじゃない」
- 「この選択を間違えたら終わりだ」
そんなふうに、視界が一点に固定されてしまう。
でも、本当にそうでしょうか。
少し角度を変えれば、まったく違う見え方をすることは、人生にはたくさんあります。
僕自身、昔は「ここしか働く場所がない」と思っていました。
だからこそ、その環境の中でどう納得するか、どう意味を見出すかを、ずっと考え続けてきたのだと思います。
そして今になって思うのです。
あの時の僕は、“世界の全体”ではなく、“その角度から見えていた世界”を必死に生きていたのだと。
「別の見方」を持てると、人は少し呼吸ができる
以前、知り合いの女性から「子供ができなくて悩んでいる」という話を聞いたことがありました。
もちろん、その苦しさは本人にしか分かりません。
でも僕は、その時こう伝えました。
「子供がいることが幸せだと思う人もいる。でも、子供がいる家庭が全員ずっと幸せかと言えば、そうじゃない。もし子供ができないなら、“二人だからこそ作れる幸せ”を探していってもいいんじゃないか」
これは、「気にしなくていい」という話ではありません。
“今見えている幸せの形”だけが、人生の正解ではないかもしれない、という話です。
視点が一つ増えるだけで、人は少し呼吸ができるようになる。
僕はそう思っています。
人生は「見えている形」だけで決めなくていい
僕たちは、つい目の前に見えているものを“世界の全体”だと思い込んでしまいます。
でも実際には、世界はもっと立体的で、多面的です。
今は「円」に見えているものも、見る角度が変われば、まったく別の形に見えるかもしれない。
だからこそ、人生を“今見えている景色だけ”で決めなくていい。
苦しい時ほど、
「別の角度から見たらどう見えるだろう?」
という問いを持つこと。
その問いが、閉じていた視界を少しずつ広げてくれるのだと思います。


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