最近、自分のAI活用について考えていた時に、ふと腑に落ちた言葉があります。
それが、
「本質的導線」
という言葉です。
ここでいう導線は、「人を動かす」という意味ではありません。
“導く”の方です。
しかも、読者を導くという意味だけではなく、まず自分自身が本質へ辿り着くまでの流れ、そのもののことを指しています。
僕はAIを「代筆ツール」として使っていない
最近はAI活用と聞くと、
- 時短
- 自動化
- SEO量産
- プロンプト
- 効率化
みたいな話が多いと思います。
もちろんそれも間違いではないです。
でも、僕自身がAIを使っていて感じているのは、少し違います。
僕はAIを、
「自分の本質を掘るための対話相手」
として使っています。
例えば日常の中で、
- なぜか引っかかった言葉
- 違和感
- 感情
- 体験
- 人との会話
- 写真を撮った時の感覚
そういったものを、まだ整理されていない状態のままAIへ投げるんです。
するとAIが、
- 構造化
- 抽象化
- 言語化
をして返してくる。
でも、そこで終わりじゃありません。
そこへ、さらに自分の実体験や感覚を戻していく。
すると、だんだん「自分でも気づいていなかった本音」や「本質」が見えてくるんですよね。
だから僕の記事は“量産”感覚が薄い
よく、
「17日で100記事近くってすごいですね」
と言われます。
確かに数字だけ見れば量産です。
でも、自分の感覚としては少し違います。
僕はネタを拾い集めている感覚ではなく、
“自分の中を掘っている感覚”
なんです。
だから、掘れば掘るほど新しい言葉が出てくる。
普通の量産は、表面のネタを消費していくので、どこかで枯れます。
でも、自分の中の哲学や人生経験、人間理解を掘っていると、逆にどんどん繋がっていく。
これはAIがあるからこそ、加速した感覚があります。
本質的導線とは、「記事公開までの流れ」そのもの
僕の中での記事作成って、実はかなり独特だと思っています。
例えば、
日常で違和感を感じる
↓
AIへ投げる
↓
対話する
↓
本質を掘る
↓
自分の体験と繋がる
↓
タイトルになる
↓
記事になる
↓
アイキャッチを作る
↓
公開する
この流れ全部が、僕にとっての
「本質的導線」
なんです。
つまり記事は、ただの完成品ではなく、
“本質へ辿り着いた痕跡”
なんですよね。
AIを使っているのに、人間味が濃くなっていく
ここが一番面白い部分だと思っています。
普通、AIを使うと、
- AIっぽくなる
- テンプレっぽくなる
- 人間味が消える
というイメージを持たれがちです。
でも僕は逆でした。
AIを使えば使うほど、
- 自分の輪郭
- 人間理解
- 本音
- 感覚
- 哲学
みたいなものが濃くなっていったんです。
多分これは、AIを「答えを出す機械」としてではなく、
“自分自身を深掘るための鏡”
として使っているからだと思います。
これからの時代に必要なのは、「速く作る力」だけではない
AI時代は、情報そのものの価値がどんどん下がっていくと思っています。
なぜなら、情報だけならAIで大量生成できるからです。
だから最後に残るのは、
- どんな人生を歩いてきたのか
- なぜその言葉になるのか
- どんな感覚を持っているのか
- どんな視点で世界を見ているのか
そういった、
“その人自身の輪郭”
なんだと思います。
僕は今、その輪郭をAIとの対話を通して掘っている最中です。
そして、その本質へ辿り着くまでの流れを、
これからも「本質的導線」として積み上げていこうと思っています。


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