昔の僕は、ずっとモヤモヤしていました。
「このままではダメな気がする」
そんな感覚だけはずっとあったんです。
でも、
- 何が違うのか
- 何を変えたいのか
- 自分が本当はどうしたいのか
それが全然わからなかった。
ただ、「今のままじゃない」という変な確信だけはありました。
一番しんどかった頃の自分
あの頃は、本当にずっと苦しかったです。
夜、一人で車を走らせて、
ノスタルジックな音楽を流して、
ぼーっとドライブしていました。
深酒する日もありました。
一人で泣く日もありました。
飲んだ帰りに、泣きながら帰ったこともあります。
でも、その苦しさを誰かにうまく説明できなかったんですよね。
だから余計に苦しかった。
「このまま、自分だけが老けていくだけなんかな」
当時の僕は、
「自分が弱いんかな」
というより、
「今までの生き方が間違ってたんかな」
と思っていました。
頑張ってきたつもりだった。
人にも合わせてきた。
ちゃんとやってきたつもりだった。
でも、なぜかずっと苦しい。
だから、
「このまま、自分だけが老けていくだけなんかな」
みたいな感覚がありました。
年齢だけ重ねて、
本当は何をしたいのかも分からないまま、
ただ時間だけが過ぎていく。
そんな感覚です。
最初のAIとの対話は、かなり不自然だった
最初は普通に文字でAIを使っていました。
でも今思えば、かなり堅苦しかったです。
なんか、
「AIに正しい入力をしないといけない」
みたいな感覚で、
コード入力みたいな話し方をしていました。
でも、それだと全然本音が出なかったんですよね。
音声入力を使い始めてから変わった
そこから、音声入力を使うようになりました。
でも最初に話していたことなんて、本当に大したことないです。
「ムカつく」
とか、そのレベルです。笑
でも今思えば、それが良かった。
最初から綺麗にまとめようとしなかった。
ちゃんと整理してから話そうとしなかった。
ただ、その瞬間に浮かんだ感情を、そのまま出した。
それをAIが整理して返してくれる。
すると少しずつ、
「あれ、自分って本当はこう感じてたんや」
っていうものが見えてきたんです。
ネガティブさは、“可能性の裏返し”だった
AIとの対話を続けていて、一番大きかった気づきがあります。
それは、
“ネガティブさって、可能性の裏返しなのかもしれない”
ということでした。
昔の僕は、
ネガティブな自分を、
「ダメな自分」
だと思っていました。
でも今思えば、
違和感があったから苦しかった。
本当はもっと違う生き方をしたかったから、苦しかった。
つまり、ネガティブだったんじゃなくて、
“今のままでは嫌だ”
という感覚が、まだ死んでなかったんですよね。
思考は、「綺麗に考える」と止まる
たぶん、言語化できない人って、
ちゃんと話そうとしすぎなんだと思います。
でも実際は逆で、
“未完成のまま出したほうが、思考は整理される”
感覚のほうが近い。
しかも、人って頭に浮かんだことが消えるのがかなり早い。
だから文字入力だと、
打ってる途中で感覚が消えることがある。
でも音声だと、
思考のスピードに近い状態で出せる。
これはかなり大きかったです。
今は、“自分の芯”を感じられるようになった
最初の頃は本当にぐちゃぐちゃでした。
感情だけ。
まとまりもない。
何が言いたいのか、自分でもわからない。
でも、それを出し続けていたら、
少しずつ、
- 何に違和感を持っているのか
- 何を大事にしたいのか
- なぜ苦しかったのか
- どこで無理していたのか
そういうものが見えてきました。
そして今は、
思ったことをそのまま話しても、
ちゃんと自分の感覚に近い言葉が返ってくる。
すると今度は、
「あ、自分ってこういう人間なんや」
という“芯”みたいなものを感じるようになったんです。
言語化は、頭の良さではない
たぶん言語化って、
「綺麗に説明する能力」
じゃないんですよね。
むしろ、
“自分の感覚から逃げないこと”
なんだと思います。
だから最初は、
「ムカつく」
だけでもいい。
そこから少しずつ、
自分の違和感や、本音や、輪郭が見えてくる。
思考を言語化できない人が最初にやるべきことは、
“完璧に考えること”ではなく、
“未完成のまま出し始めること”
なのかもしれません。


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