昔の僕は、「答え」がどこかにあると思っていました。
もっとすごい知識を学べば。
もっと成功している人の話を聞けば。
もっと努力すれば。
そうやって、ずっと“外側”に答えを探していました。
でも、学べば学ぶほど苦しくなる時期がありました。
なぜなら、学ぶこと自体が目的になっていたからです。
積み上げたものを捨てるのが怖かった
人は時間をかけたものほど、手放せなくなります。
僕もそうでした。
「ここまで頑張ったんだから」
「これだけ勉強したんだから」
「今さら方向転換なんて」
そうやって、違和感を感じながらも続けてしまっていた時期があります。
でも、今振り返ると、方向性がズレた努力ほど、人を消耗させるものはありませんでした。
頑張っているのに苦しい。
成長しているはずなのに満たされない。
知識は増えているのに、生きやすくならない。
これは、自分の本質と噛み合っていなかったからだと思います。
間違っていたら、一度脇に置く勇気
僕はこれまで、
- 自己啓発
- 神道
- AI
- マーケティング
- 人間理解
いろんなものを学んできました。
その中には、今でも大切にしている考え方もあります。
でも逆に、
「これは違ったな」
「今の自分には合わないな」
と思ったものは、一度脇に置いて再編するようになりました。
昔はそれが“負け”のように感じていました。
でも今は違います。
間違っているのに続けるほうが、もっと苦しい。
だからこそ、自分を修正することを大事にしています。
答えは簡単には見つからない
正直、答えはそんなに近くありません。
人生は複雑ですし、人間も環境も感情も、簡単ではありません。
だから、「これが正解です」と言い切れるものなんて、ほとんどないと思っています。
でも、それでも昔の自分よりは、確実に本質へ近づける感覚があります。
なぜなら、
- 違和感を無視しなくなった
- 環境を見るようになった
- 学びを盲信しなくなった
- 間違いを修正できるようになった
からです。
成長とは、迷わなくなることじゃない
僕は昔、「成長したら迷わなくなる」と思っていました。
でも実際は違いました。
成長とは、
“迷わなくなること”ではなく、
「迷った時に、以前より早く修正できるようになること」
なのかもしれません。
だから今でも悩みます。
考えます。
方向性を見直します。
でも、昔ほど長く自分を見失わなくなりました。
それはきっと、これまで遠回りしてきた時間が無駄ではなかったからだと思います。
過去の自分を否定しないために
今ならわかります。
苦しかった時期も、
ズレていた努力も、
遠回りした時間も、
全部必要だったとは簡単には言えません。
でも、その過程を通ったからこそ、今見えている景色があるのも事実です。
だから僕は、
過去を美化したいわけではありません。
ただ、
あの頃の自分よりは、
少しだけ本質へ近づけている。
そう思える今の自分でいたいと思っています。


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