「言葉が通じない」という環境
僕は20代の頃、オーストラリア人のラッパーと約1年半、一緒にヒップホップというジャンルで活動していました。
でも実は、その関係性は少し特殊でした。
僕は日本語しか話せない。
相手は英語しか話せない。
つまり、お互い相手の母国語がほとんど分からない状態だったんです。
もちろん、翻訳アプリが今ほど便利な時代でもありませんでした。
それでも、一緒にライブをして、曲を作って、同じステージに立っていました。
今振り返ると、あの経験は僕にとって、「傾聴力」というものの本質を教えてくれた時間だったと思っています。
「分からない前提」があったからこそ、聞こうとした
日本語同士だと、ついこうなりませんか。
- 「言わなくても分かるだろう」
- 「普通こういう意味だよね」
- 「察してくれるだろう」
家族や友人、距離が近い相手ほど、そういう“分かったつもり”が入りやすい。
でも、僕たちにはそれが通用しませんでした。
そもそも、言葉が通じない。
だからこそ、
「今、何を言いたいんだろう」
「どういう意味なんだろう」
「どうしたら伝わるんだろう」
という意識が自然と生まれていたんです。
ジェスチャー、図、音楽。伝えるための総力戦
例えば、
「この8小節はあなた」
「次は僕が入る」
ということを伝える時も、ノートに絵を描いたり、図を書いたり、ジェスチャーを使ったりしていました。
言葉だけでは足りない。
だからこそ、相手を見ようとする。
相手の表情を見る。
空気感を見る。
声のトーンを見る。
音の乗り方を見る。
そうやって、“理解しようとする力”が磨かれていった気がします。
そして不思議なことに、言葉は完璧に通じていなかったはずなのに、
「今こういうこと言いたいんやろな」
というのが、なぜか伝わる瞬間があったんです。
傾聴とは、テクニックではなく「姿勢」
今は「傾聴」という言葉をよく耳にします。
でも僕は、傾聴って単なる聞き方のテクニックではないと思っています。
本当の傾聴って、
「相手は自分とは違う世界を見ているかもしれない」
という前提に立つことなんじゃないでしょうか。
自分の常識を基準にしない。
“分かっているつもり”にならない。
そして、
「この人をちゃんと知ろう」
とする姿勢を持つこと。
それが、本当の意味で人の話を聞くということなんだと思います。
言葉より先に伝わるものがある
もちろん、言葉は大事です。
でも、人は言葉だけでコミュニケーションをしているわけではありません。
どれだけ綺麗な言葉を並べても、
「理解しようとしていない」
という態度は、意外と伝わります。
逆に、言葉が完璧じゃなくても、
「この人はちゃんと向き合おうとしている」
という姿勢も、伝わる。
僕はあの1年半で、そのことを身をもって学びました。
だから今でも、人と話す時は、
“うまく返すこと”より、“ちゃんと理解しようとすること”
を大切にしています。


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