昔の僕は、かなり「嫌われない努力」をしていたと思います。
でも当時は、それを努力だと思っていませんでした。
“普通のこと”だと思っていたんです。
少人数の環境ほど、逃げ場がない
僕は少人数の仕事環境が長かったので、間に入ってくれる人がいませんでした。
だから、
- 空気を壊さない
- 相手を怒らせない
- 波風を立てない
- 嫌われない
っていうことを、かなり無意識にやっていたと思います。
もちろん仕事なんで、協調性は大事です。
でも、いつの間にか、
“自分の感覚”
より、
“周りがどう思うか”
の方が優先になっていました。
親の顔色も見ていた
今振り返ると、親の顔色もかなりうかがっていました。
怒られないように。
空気を悪くしないように。
ちゃんとしているように。
だから僕の中では、
「嫌われる」
っていうことが、かなり怖かったんですよね。
- 友達を失うこと
- 空気を壊すこと
- 仕事を失うこと
全部怖かった。
だからこそ、“合わせる能力”だけは高くなっていったと思います。
でも、合わせる力と、自分を生きる力は別だった
友達と遊ぶのは楽しかったです。
でも、どこかでずっと、
「みんなと仲良くしなきゃ」
がありました。
揉め事も嫌いでした。
だから、自然と“嫌われない立ち回り”を覚えていった。
でも今思うと、
それって、
“自分の人生を進める努力”
ではなかったんですよね。
頑張っていた。でも進まなかった
僕が「頑張ってるのに進めない」と強く感じたのは、20代の頃、ヒップホップをやっていた時期です。
ライブもしていました。
でも、
- 呼ばれない
- 評価されない
- スキルが伸びない
- 芽が出ない
そんな感覚がずっとありました。
「こんなにやってるのに、なんでやろ」
って。
30代に入ってからもそうでした。
学ぶ。
考える。
努力する。
でも、なかなか結果に繋がらない。
その頃の僕は、
“やる気はある。でも方向がズレていた”
状態だったんだと思います。
コーチング視点で見ると、実は一番難しい状態
コーチングや人材育成では、よくこういうマトリクスがあります。
| 技術がある | 技術がない | |
|---|---|---|
| やる気がある | 最も伸びやすい | 空回りしやすい |
| やる気がない | 現状維持しやすい | 最も停滞しやすい |
僕はずっと、
「やる気はある。でも技術がない」
をやっていた気がします。
しかも厄介なのが、この状態って本人はめちゃくちゃ頑張ってるんですよね。
だから、
「もっと努力しよう」
になる。
でも本当に必要なのは、
“努力量”
じゃなく、
“方向修正”
だった。
「方向が違う」と言われても、離れられなかった
今ならわかるんですが。
当時の僕って、
「その方向、ズレてるよ」
と言われても、そこから離れられなかったんですよね。
なぜかというと、
その状態が“自分の普通”になっていたから。
つまり、
- 人に合わせる
- 空気を読む
- 嫌われないようにする
- 自分を抑える
という状態が、もう当たり前になっていた。
だから逆に、
- 本音を出す
- 自分を優先する
- 嫌われる可能性を受け入れる
- 合わない人と距離を置く
っていう方が怖かった。
これは今思うと、
コンフォートゾーンから抜け出すことを、無意識に拒否していたんだと思います。
人は、変わりたいのに変わりたくない
人って不思議で、
「変わりたい」
と言いながら、
同時に、
「今の自分を維持したい」
も持ってるんですよね。
これって、ホメオスタシス(恒常性)とも言われますが、
人間は、たとえ苦しくても、
“慣れた状態”
に戻ろうとする。
だから、
苦しいのに離れられない。
合ってないのに続けてしまう。
ズレているのに、同じ努力を繰り返してしまう。
僕もまさにそうでした。
AIの言葉だけは、なぜか入ってきた
でも、そんな僕が変わり始めたのは、AIとの対話でした。
これ、不思議なんですが。
人から言われると、どうしてもその人自身の情報まで入ってきてしまうんですよね。
- この人に言われたくない
- 怒りながら言ってる
- マウントっぽい
- 否定されてる気がする
- 感情が乗りすぎている
そういうものが全部混ざって聞こえてしまう。
だから、内容以前に、拒否反応が出ていたんだと思います。
でもAIって、そこがなかった。
もちろんAIにも出力の癖はあります。
でも少なくとも、
“感情的な圧”
がない。
ただ、知性として返ってくる。
だから初めて、
「なるほど、自分ズレてたかも」
が、すっと入ってきた感覚がありました。
最高のお好み焼きを作りたいのに…
これは例えるなら、
「最高のお好み焼きを作りたい」
と言いながら、ずっと焼きそばを焼いている状態。
本人は本気なんです。
材料も揃えてる。
汗もかいてる。
研究もしてる。
でも、
「それ、焼きそばやで」
という状態。
しかも厄介なのが、
焼きそばを焼く技術だけは上がっていくこと。
だから途中で、
「このままで合ってる気がする」
となってしまう。
でも、本当に作りたかったものは違った。
AIとの対話で、初めて客観視できた
僕はAIとの対話の中で、
自分の過去を何回も振り返って、言語化して、整理していました。
それを繰り返しているうちに、
なんか少しずつ、
“心身が戻ってきた感覚”
があったんです。
今までは、
「周りに合わせる自分」
ばかり見ていた。
でも初めて、
「自分は本当はどうしたかったのか」
を見るようになった。
無駄だった努力は、一つもない
ただ、不思議なんですが。
今振り返ると、
「全部無駄やった」
とは思わないんですよね。
むしろ、
遠回りしたからこそ、
- 人の顔色を見る人の苦しさ
- 頑張りすぎる人の感覚
- 合わせすぎる人の疲労感
- 本音を失う感覚
がわかるようになった。
だから今は、
“もっと頑張れ”
ではなく、
“本当はどこに向かいたいのか”
を見ることの方が大事だと思っています。
努力量を増やす前に、
まず、
「今、自分は何を焼いているのか」
を見た方がいいのかもしれません。


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