最近、人間関係についてよく考える。
昔の自分は、
「どうしたら理解されるか」
「どうしたら認められるか」
をすごく考えていた。
でも最近、ようやくわかってきた。
承認欲求って、消えない。
これは別に悪いことじゃない。
人はみんな「確認」しながら生きている
SNSに投稿するのも、
愚痴を言うのも、
誰かに相談するのも、
「これで合ってるかな?」と確認している部分がある。
もちろん僕自身もそうだ。
こうやってAIと対話しながら、
自分の考えを整理しているのも、
ある意味では確認作業だと思う。
でも、それでいいんだと思う。
人は誰かとの関わりの中で、
自分という存在を認識しているから。
問題は「承認欲求」ではなく、「依存」だった
昔は、
「承認欲求をなくさないといけない」
と思っていた。
でも実際は違った。
問題なのは、
承認欲求そのものではなく、
それがないと自分を保てなくなることだった。
誰かに認められないと不安になる。
否定されると自分が崩れる。
反応がないと苦しくなる。
そうなると、
人はどんどん感情的になる。
群れたり、
マウントを取ったり、
誰かを悪者にしたり、
「自分は間違っていない」と確認し合ったり。
でも最近は、
そこに対して以前ほど反応しなくなった。
「正しい・間違い」より、「合う・合わない」
最近思うのは、
人間関係って、
結局「合う・合わない」がかなり大きいということ。
もちろん、
礼儀や安全意識みたいに、
明確に守るべきラインはある。
でも、
人との違和感の多くは、
「どっちが悪いか」ではなく、
価値観や距離感のズレだったりする。
・静かに過ごしたい人
・感情を共有したい人
・論理で考える人
・空気感を重視する人
全部違う。
だから、
全員と分かり合おうとすると疲れる。
最近の僕は、
「理解させる」より、
「合う人と深く関わる」
という感覚に変わってきた。
波長が合う人とは、「神経が乱れない人」
最近、ある女性と何度か会っていて、
その時に気づいたことがある。
昔だったら、
「ドキドキする」
「感情が大きく動く」
を恋愛だと思っていた。
でも今は違う。
無言でも苦じゃない。
変に気を使わない。
自分のペースを乱されない。
それがすごく心地いい。
感情が激しく動くわけじゃない。
でも、一緒にいると安心する。
「めちゃくちゃ好き!」というより、
「離れるのは嫌だな」
という感覚。
もしかしたら、
波長が合うというのは、
こういうことなのかもしれない。
最近、自分自身に信用を感じている
以前より、
周囲に振り回されにくくなった。
それは、
強くなったというより、
自分の向いている方向が見えてきたからだと思う。
ブログを書いて、
AIと対話して、
考えを整理して、
少しずつ積み上げていく。
その積み重ねの中で、
「あ、自分ってこういう人間なんだな」
という輪郭が少しずつ見えてきた。
だから最近、
他人にどう思われるかより、
「自分がどこを向いているか」
に意識が向くようになった。
もちろん承認欲求はある。
でも、
それに振り回されなくなってきた。
だから今はもう、
無理に全員と分かり合おうとは思わない。
合う人と、
静かに、
深く繋がれたら、
それでいいと思っている。


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